「劇場」に立つのも、脚本を書くのもそんなに簡単なことではない。
それはとっても当たり前のことで、仕事でやっていこうとするならば、必ずや客の目も意識しなくてはならない。
自分のやりたいことをやり続けていたって、お金は入っては来ないのが現実です。
主人公の「永田」という男は、情けないことことに未来の自分が全く見えていない。
彼の弱点は、
- 男らしさを勘違いしている
- やりたいことを仕事に出来ると思っている
- 才能という部分を天性のものだと思っている
というところです。
女性を幸せにするには、自分が「仕事で成功すること」だと思い、自分で自分を追い詰めていくのです。
そして往々にしてみんなが間違えやすい観点が、「やりたいことを仕事に出来る人」は一握りしかいないということです。
演劇で食べて行きたいのなら、
- 視点は広く持つこと
- 多くの勉強が必要であること
- 人生経験や人との対話が大事であること
そこが彼にはひとつもないので、成功するのは非常に難しいであろうことは誰もがわかるように描かれています。
そしてとことん、「自分を愛してくれる彼女」に依存しているのです。
彼女から逃れたいと思う気持ちも、本来「依存」から出てくる感情です。
本当は自分が彼女を支配しているのに、「支配されている」という被害者意識を持つのです。
支配されているのに、同時に非難もされていく女性の心理は、追い詰められて行き場を失います。
- 何でも許す女性
- 何でも応える女性
- 何でもしてあげる女性
こんな女性の側にいるだけで、男性の成長はゆっくりになってしまうのです。
感謝の気持ちを感じる頃には彼女はいない!
それが現実なんですよね~( ゚Д゚)
もちろん永田にとって彼女は一生忘れられない女(恋)となるんですが、もうあの日々は戻ってはきません。
そしてそんな風になって、初めて良い作品を書けるようになる訳です。
- 劇場の幕が降りるとき、そこにいるのは「ごめんね!」と涙を流す彼女。
- 永田も脚本を書きながら、何度心の中で「ごめんね!」と呟いたでしょうか。
「ありがとう!」じゃなく「ごめんね!」で締めくくらなければならない恋。
「劇場」という映画の本質はそこにあると思っています。
本来は上手くいかなくて別れてしまっても、心の中に「ありがとう!」の気持ちがあれば次に進めます。
それがない男女はもっともっと長く苦しむことになるのです。
男性諸君は、女性に甘えちゃいけないということではありません。
ちゃんと「男として甘えてほしい」と思うのです。
永田のように「子供として」甘えているようじゃ、未来は本当に悲しい結末しかありませんね。
この違いわかりますか?(#^^#)