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「花束みたいな恋をした」に観るすれ違いとは?

大人になると言ってしまえば簡単なことですが、ついこの間までは大学生だった2人。

終電を逃した2人が偶然に出会い、同じようなサブカルに興味を持ち、同じ価値観を共有していた麦と絹

やがて一緒に多摩川を見下ろせるアパートで暮らし始めます。

偶然にも2人は同じコンバースの「ジャックパーセル」を履いていました。

これは青春を意味する小道具として、最後は「黒い革靴」に代わっていきます。

  • なんで就活するの?
  • 就活して何を失ったの?
  • 結婚するってどういうこと?

若い2人がそれらの課題を乗り越えて行くには、取り返しがつかない溝が広がり始めてしまったのです。

「一生冷めない夫婦なんていないよね?だったらもう結婚しようよ。子供を産んで一緒に手を繋いで多摩川の土手を歩こうよ!」

麦のその言葉に絹は首を横に振ります。

  • 愛していたのは「昔の彼」だったのか…。
  • 「今の彼」に愛情をもう感じていないのか…。

それでも一緒に暮らした4年は2人にとって忘れることが出来ない「幸せな日々」でした。

妥協して一緒にいるより、それぞれの信じる道を選択する2人でしたが、将来そのことを後悔する日は来ないのでしょうか。

大人になるということは、ある意味「現実を直視」することです。

2人のズレの中には「現実」の捉え方のズレが生じてしまったことに端を発していると言えます。

  • 麦は「冷めてしまったとしても、家族になれば家族としての愛情でそれなりの幸せはつかめる」と思います。
  • 絹は「本当に好きな人と自分自身が好きなことをして生きて行かない限り、そしてお互いを本当に愛していないと幸せにはなれない」と考えます。

みなさんはどちらが正しいと思われますか?

どちらも決して間違いではないと思います。

決定的な違いは「ズレを意識したまま、ずっと一緒にいられるか、いられないか」なのではないでしょうか。

泣きながら、お互いに楽しかった日々に感謝をしながら抱き合うシーンがありますが、その時の2人の中には、

  • ありがとう
  • さようなら

この両方の言葉が混在しています。

その後も街の中で違う相手といるところを見かけることになります。

それでも「吹っ切れている」といった表情で後ろ姿のまま手を振ります。

やっぱり感情がズレていけば、一緒にはいられないのかもしれませんし、どこかで補正出来るものなのかもしれません。

それは、その2人のその後の努力に依るところも大きく、本当に一概にどちらが正しいとは言えないのです。

1つ言えることは「2人で出した答え」は絶対に正しい!と信じることが大切だという事でしょう…(#^^#)



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