愛する人を守ること、それには男女は関係ないのです。
大きく分けると、
- 直接的に守る
- 間接的に守る
の2つがあると思います。
直接的に守るというのは、大きな事態から小さな心配りまで様々なシチュエーションがあると思います。
ストーカーに追われている女性を相手から守ることはかなり危険でしょうし、歩道の車道側に男性が立って女性を守るというのも日常ではよく見られることですね。
間接的な所で言うと、パワハラまがいの嫌な上司から彼が酷い仕打ちをされないように先回りして釘を刺しておいたり、苦手な人と鉢合わせしないように計らったりすることも守るうちに入ると思います。
あなたは愛する人を守っていますか?
こう聞かれて、ハッキリと「守っている!」と言える人はどれくらい存在するでしょうか。
嫁姑の問題から妻を守れば、母を守らない事になってしまったりということも世の中にはありますね。
時には、親友を傷つけてまで彼女を守らなければならないというような複雑な事情を持っている人もいるかもしれません。
家族が生活する中で、父親は愛する家族を守らなければなりませんが、その父親が外で浮気している場合などは完全にそのお役目は無視されていることになります。
つまり、愛する人を傷つけるようなことをしてしまえば、それは守れていないことと同等になります。
愛する人を守るということは、愛する人に誠実であることが第一条件だとも言えるのではないでしょうか。
暴力を振るったり、言葉で傷つけたりすることも守ることとは反対の行動になります。
「守る」ということが、映画やドラマのように直接的に「悪から守りぬく」というシチュエーションになることは考えにくいのです。
日々誠実に接し、日々思いやりをもって生活することが守るということに繋がっていくのだと思います。
そして「守られている」という実感がなくても、日々平和に楽しく暮らせていれば、それはきっとあなたは誰かに守られているということでもあるのです。
愛する人を守るということは、本当はもっと日常的であって、難しく考えることではないと思います。
人によってどんな時に守られているのと感じるのかを聞くと面白い結果が得られました。
- ゴキブリを殺してくれた時
- 物音の正体を見に行ってくれた時
- 病気の看病をしてくれた時
- 嫌なことがあった日に迎えに来てくれた時
など、割と直接的な答えが多かったですね。
だけど本当は間接的に支えられていることも決して少なくないのではないでしょうか。
感謝の気持ちを持って接すれば、そんな見えない部分も見えて来るような気がします。