主人公の漣(レン)と葵(アオイ)の出会いは中学生の頃の花火大会だった。
普通の家の子だと思っていた葵の家庭は違っていた。
やがて引き裂かれていく運命の中、2人は無意識に運命の「糸」を手繰り寄せていくのです。
互いに違う人と結ばれ、それぞれの生活に没頭していくが、運命とはそんなに簡単に離れてはしまわないのです。
大人になった2人は、友人の結婚式で一度は近づくものの、その運命は無かったもののように遠ざかっていってしまいます。
沖縄の大自然と北海道美瑛の雄大さが、映画のもどかしさを映しているかのように壮大で優しく美しい。
「葵ちゃんは俺が守る」
その約束は果たせないまま、どんどん時は過ぎて行きます。
中島みゆきの「糸」がバックに流れ、2人の糸は、
- どこかで切れてしまったのか?
- ほどけないところまで複雑に絡み合ってしまったのか?
- 元々その糸は違う方向へ伸びていたのか?
答えは漣の妻になった香が握っていた。
病に倒れ、最後の最後に香が言った言葉が、「糸」の本質を言い表しています。
「運命の糸はほつれちゃうんだよ。ほつれて時に切れちゃう時もある。だけどそこで終わりではないと思うんだ!糸はまた繋がっていくと思うんだよ」
人間が創りあげていく布があるとしたら、それは綺麗な四角形ではないのでしょう。
切れてまた元の糸と繋がったり、新たな糸を足したりして、人生の布が出来上がっていくとしたらその形は相当イビツなんだと思います。
そして運命の糸を誰もが手繰り寄せようとしているのです。
- 「もう会えないだろう」と思っていた人に会えたら、それは運命かもしれないと思う時もありますね。
- 「私と彼は別々の道を歩き始めた」と思っていたら、職場関係で繋がっていたといこともありますよね。
そこからはその2人の心がどれほど相手を引き寄せ、近づいていくかなのです。
漣と葵は、大人になってからの出会いを、決して放って置いてはいないのです。
常に心に相手が存在し、たとえ何度すれ違っても、最終的にはもう一度手繰り寄せて近くに行こうとしています。
その最後の動きが両方で噛み合わなければ、ハッピーエンドにはならなかったということです。
「運命かもしれない」と思ったら、簡単には諦められないはずなのです。
- 空を見上げても
- 何か食べていても
- 思い出の場所を訪れても
相手のことを考えています。
だからこそ、その糸は一度は切れても再び繋がっていくのです。
どちらかが諦めて、「切れたままにしてしまえ」と思えば絶対に再び繋がることはありません。
映画で言えば、
- 葵がシンガポールに戻っていたら、
- 漣が葵を追いかけて船着き場まで行かなかったら
あのエンディングはありえなかったのです!