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「事実は小説より奇なり」物語のような恋愛

物語のような恋愛をしている人もいるというのが現実です。

それでも中々実際にそういう話をしてくれる人に出会えないのではないでしょうか。

この話は、実際に今はもう亡き母から聞いた実話です。

母は1918年にアメリカで産まれました。

当時のアメリカのカリフォルニア州は、「大草原の小さな家」で見られるような風景が広がっていたといいます。

母親が成人してすぐに、1939年勃発の第二次世界大戦により日系人はいくつかの捕虜収容所に着の身着のまま行かされることになります。

母が家族と共に行ったのはアリゾナの砂漠地帯の収容所でした。

たまたま、親友の女性と一緒だったと言います。

その女性の愛する人は違う収容所に行かされたようで、全く連絡を出来ない状況に陥ってしまっていました。

彼女は上層部にその「彼がどこにいるのか調べてほしい」「せめて手紙を一度だけでも送りたい」とお願いし続けたと言いますが願いは叶えられませんでした。

終戦後、祖父は家族全員で船で日本に帰還することを選択しました。

親友はそのままアメリカに残り、彼を必死に探しました。

当時の家は全く別の人種(メキシカン)が住み着いており、彼の行方を知る手段はありませんでした。

その時日本に戻っていた母は、原宿の同潤会アパートに1人で住み、速記の仕事をしていました。

なんと母は原宿の路上で親友の彼とすれ違ったのです。

会ったことは過去に1度だけ、親友のバースデーパーティーに出た時だけでしたし、写真では2~3回見ていたものの自信はありませんでしたが声をかけたそうです。

英語で話しかけたら、英語で答えが返ってきたことで確信したそうです。

「レイジさん!マサコはあなたをずっと探していたのよ!」

「俺もずっと探していた!いや今も探してる。以前の家にいないのでアメリカの友人に頼んで捜索してもらってるんだ!」

こうして2人は居場所が特定できたことで再び会う事が叶い、結婚したそうです。

日系人同士の普通の恋愛が、戦争という形で一度は引き離されそうになりました。

彼はアメリカ軍として戦争に出る直前で、終戦を迎えていました。

その後、2人はアメリカに住みましたが、時々子供を連れて母のところに遊びにきていました。

時代が時代だったこともあって、本当に小説のようなことがあるんだなと思わされた瞬間でした。

そこの長男「アーサー君」とは相性が合わず、会う度に私と喧嘩になっていたと母には聞いています。(笑)

人生には色々なことが起こって、現実を狂わせていくことも少なくありません。

それでも、縁があって出会えた2人には、素晴らしい小説のラストが約束されているのかもしれません。

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