マザコンの定義なんてないけど、ここら辺から危険だ!と思う線があります。
「親を大切にすること」と「マザコンだということ」
この境界線は割とはっきりしています。
たとえば次の2つの会話の違いがわかりますか?
「明日さ、母親が病院で胃の検査があって朝何も食べれないし、飲めないから病院まで付き添おうと思うんだ。」
「明日さ、母親がめずらしく俺の好きなちらし寿司を頑張って作るって言ってたから、夕飯は家飯に決定してるんだ。」
上の場合は明らかに親の病気を心配しての普通の行動です。でも下はどうでしょう。
一見お母さんを思って早く帰って夕飯を食べるというこのなのですが、よく考えてください。
お母さんが家族にご飯を作るのは彼の家でも普通のことで、手間がかかる彼の好物を一生懸命作ってくれたのに外食とは言えないというシチュエーションです。
どう違うかというと緊急性と依存性です。
病気は緊急性があります。
弱った母親を一人で病院まで行かせられないというのは、娘のあなたでも同じでしょう。
そこに母と息子が互いに依存している感じは見えてきません。
比べて手料理に緊急性はありません。
「好物をつくってあげたい」「手料理をほめて喜ばせてあげたい」
双方に依存性を感じます。
誕生日などの記念日は特別ですので、このような場面もマザコンとは言えないでしょう。
でも普通の日だと少々おかしい。
衣・食・住の場面で、彼は母親とどこまで関わっているのかがポイントになります。
順位としては、「住<食<衣」の順で危険度が増します。
住環境については、このご時世です。
親が家をもっていれば一緒に暮らすのも、それほどおかしいことではなくなっています。
食についてはいい歳の男子が、その全てを親に依存していることはあまり良いこととは思いません。
いくらでも外食できますし、コンビニもあります。
まっすぐ家に帰って母親の手料理を日々食べていること自体少し不気味です。
実家にお金を入れて作ってもらう曜日を決めている、ということだったらセーフかもしれません。
衣については以ての外だと思います。
着る物ぐらいは自分で買ってほしいものです。
下着まで買わせていたとしたらこれはアウトでしょう。
マザコンそのものです。
いくら着るものに対して興味がなくても、男性たるもの自分の稼ぎの中で自分なりのおしゃれをするのが普通でしょう。
母親に対する依存度が強いほど、マザコン度も高いので、いずれ彼女を悲しませることになります。
親に聞かないと何も決められない男子は情けないの一言!
是非、見極めてください。